高等遊民前夜

毎日やっつけエブリデイ

書くこと/書かないこと

 2月19日(金)。晴れていても寒い。私の平日最終日。

 0時ごろ、ベッド入ってそろそろ寝ようかと思っていたところに、同居人の勤務先から至急出勤するよう電話が鳴る。同居人は夜勤のある仕事をしており、いま体調不良者が出てしまったので夜勤の人手が足りないんだとか。電話口で静かな抵抗をしていたけれど、結局出勤していった。夜勤明けにまた夜勤なんて鬼畜の極み。人が寝ている時間に働いている人がいるから、私は、信号のある交差点を安全に渡れたり、電車に乗れたり、エレベーターを使えたり、病院に入院できたりするんだよな。ありがたい。自分は深夜に呼ばれるような業務ではないから、同居人はよくやるな、と尊敬。私にはそうそうできそうにないや。

 私はいつも通り眠り、6時ごろに起床。いつも通り仕事へ。本日もハードモードに仕事。正直何の感情もない。疲れた。21時ごろに退勤し、帰宅したのが22時前。同居人はソファで爆睡していた。昨日見た光景とほぼ一緒。お疲れ様です。今からご飯を作るのも怠くて、冷凍の鮭を焼き、冷凍のご飯を解凍して即席のお茶漬けを作って食べた。 

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 食後の精神が落ち着くやつは、同居人が買ってきてくれていたミスドとロイズのピスタチオチョコ。ロイズのやつ、ローストしたピスタチオがこれでもかと入っていて、めちゃくちゃ豪華なのにリーズナブルですごい。(カロリーもすごい!)羊羹みたいに少しずつ切り分けて食べるタイプのお菓子だから、毎日ちょっとずつ食べて生きる糧にします。

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  なんか最近、自分の日記なのにやたら同居人が出てきてしまう。もちろん意図的に同居人を排除して書くこともできるんだけど、もう生活の一部になっている物を切り取って書くことは私の日常を書き残すことになるんだろうか?という気持ちもあり、難しいなとも思ったりする。そもそも私の生活は、生身であるこの私しか知り得ない訳で、どれだけ言葉を尽くして書こうとも、絶対私の意図が反映されるのですよね。自分の一日のどの部分を、どのように書くか/書かないのか。書かないことも一種の記述だと思うんです。そして一日の体験を文字と静止画(写真)で残すだけでそれはすでに私の経験の翻訳行為であるとも思うのです。
 それを踏まえて、なるべく自分がなにも考えずここに書いたことをそのまま公開して、意図的な編集を可能な限り無いようにしたいなと思う。その時、自然に書いてしまう同居人の強烈な存在を、なかったことのように意図的に記述することは、その時点で既に私の生活じゃない気がするんです。

 なんでこんなことを考えているかというと、私は恋人の存在を見せびらかし自慢するというか、そういうあざといブログやアカウントが好きではないです。匂わせとかね。それは私がモテない人生を歩んできたからかもしれないし、性格が歪んでいるだけなのかもしれないけれど。でも、自分の生活に恋人がいるときは、恋人の存在が自分の一部になり、意図的に排除することが、自分自身についてブログやSNSで発信することから遠ざけてしまうことになるんですよね。(これが人によっては、子供や友達だったりすると思う。)
 私のブログとかツイッターを見て、自慢してんじゃねえよと思う人もいるだろうし、私も過去にあざとさの全くない投稿に僻んでいたりしたのかもな、と身につまされたりする。人の立場に立って考えるって、言葉的には簡単で使い古されているけれど、実行するには難しすぎるなと思いました。自分のひねくれた性格を直していきたいです。

 疲れ果ててなかなか眠れず、2時ごろに眠りについたと思う。