高等遊民前夜

毎日やっつけエブリデイ

ここ最近の身の上話でも

 土曜日。9時過ぎに起床。昨夜は睡眠薬を飲んで寝て、しっかり眠れてスッキリ起きることができた。医学はすごい。先人たちの恩恵に生かされている。コーヒーを飲んだあと、同居人とその辺を散歩した。今年は秋をすっ飛ばして初冬に突入してしまったけれど、今日は比較的日差しが強くて暖かかった。こういう日に少しでも身体を動かしておかないと関節が死ぬお年頃だから歩く。

 ある程度歩いたら同居人と別れ私は職場へ。もちろんサービス休日出勤。秋晴れの下を抜けて仕事へ行く足取りの重さよ。

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 今月に入ってからというもの、途方もない量の仕事が押し寄せてしまった。昨年度一年間の業務量を1とすると、今月だけで10来てしまったくらいの規模感だ。2人しかいない極小部署にとっては、頑張ればなんとかなるとか、手を抜いて対応するとかいうレベルを超えており、もはやどうすればいいのか分からないという感覚に近い。窓口業務として職場の外からやってきた業務だけでこの量で、それ以外に内部的な業務も当然に据え置きである。なんとか頑張ってきたつもりだけれど、さすがにすこし疲れてしまった。
 というのも、今月は私も上司も、平日は22時過ぎまで残業して帰宅後もテレワーク、休日も可能な限りテレワークか出勤という毎日だ。(ちなみに、なぜ22時過ぎまで残業しないかというと、集中管理で冷暖房が止まるのが22時だから。耐えきれなくなったら帰る。)平日職場にいるだけでも残業月100時間は超えていて、これに自宅での仕事や休日出勤分も足すともっとだと思う。この惨状をさらに上の上司も当然知っているわけだけど、財源が増えないから人を増やすわけにもいかなくて、ただ沈むのを待つ泥舟みたいな悲痛な空気が職場には充満している。

 なぜこんなにも仕事が増えてしまったかというと、おそらくは時代の流れによるものと、コロナ禍によるものだと思っている。世の中や暮らしに不満があるときに訴える方法があって、それがどのような手段なのか、世間の知るところになってきた。そうして行動に出る人が増えて、その一部が私の元に殺到している。それ自体はとてもいい流れだと思う。ただ、人々の要求は年々増え続けているのに、予算は増えず、人も増えていない。愛知県のとある2人の極小部署がぎりぎりまで働いて対応してきたけれど、今後はぎりぎりまで働いても受け止めきれないかもしれない。でも、できなかったら私たちが悪いのだ。行動にでる権利は世間の人々のほうにあるから。こちらの人手不足など世間の人々にとっては問題ではない。(私は公務員ではないけれど、公寄りの仕事はそういうことだ。)
 ネットでは愚痴ばかりの私も、普段は弱音を吐かないようにしていたけれども、最近は「もう無理です」とばかり言ってしまう。今より遥かに仕事の少ない時代は6人の部署だったのに、いま2人で膨大な業務をこなすなんて無理だ。やる気の問題じゃなく無理だ。でも、もっと大変な人たちが世の中にはたくさんいて、私はそれよりマシだから頑張らなければ行けないと思ってしまう自分もいて、そんな自分にクソ喰らえと思っている。

 途中ファミマで水とチョコレートを買って職場へ。今日は上司は不在(お子さんの用事で休日出勤できないと言っていた。)誰もいない職場は電話もかかってこないし集中できていい。びっくりするくらい捗った。でも全体像を見るとごくごく僅かな進捗で悲しくなってしまった。すべてが閉塞している。終わりが見えない。

 20時過ぎ。同居人から中華を食べようとLINEがくる。職場からほと近い町中華へ。相変わらず繁盛していて活気に溢れている。唐揚げ、じゃがいもと角煮の土鍋、地三鮮などを注文。同居人からは、働き過ぎないように諭されていた。私は、誰ひとり死なない形で隕石が降ってきて、職場を潰してくれればいいと話していた。働きたいと思っても働けないような決定的な出来事に助けてほしいと願っている。それでも私はまだ美味しくご飯をたべられるだけ大丈夫なんだろうと思う。まだまだ戦わないといけない。

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 食後、近くのミスドで明日の朝用のドーナツを買って帰った。帰宅後、風呂を済ませテレワークで仕事。仕事は止まることを知らない。3時ごろに寝たと思う。