高等遊民前夜

ただの日記

なりたい人になりたい

 6月21日。火曜日。植物たちが元気。3日前くらいに蒔いたフォエチダの赤ちゃんが発芽した。発芽まで10日くらいかかるらしいが。本当にフォエチダかどうかさえ怪しい。まだ若い株から取れた種だから、未熟なものもあるだろうしすべては発芽しないだろうと思っている。それにしても、この子は早起きタイプかもしれない。

 仕事の昼休憩に中学時代の同級生からLINEがあり、「いまものすごく誰かに愚痴りたいから今夜飲めない?」という趣旨のお誘いがあった。結婚して、仕事を辞めて、地方の花屋へ嫁いだ友達。珍しい連絡だった。生憎わたしは社畜で、しかも昨日は早めに退勤したから、今日こそは遅くまで残業する算段だったのだ。というより今日頑張って残業しないと、明日からの私が苦しくなる。でもでも、友人からこんな連絡があったら定時退勤一択だ。平日の夜に、どうしても今日愚痴を言いたいなんて、きっと緊急事態じゃないか。私はなるべく早く仕事を終えて向かえることを返信した。

 大人になって、社会に出て、人に優しくしていたいと思う反面、優しくするばかりじゃ生きていけないと強く思うことが多い。優しさは、見せすぎるとつけ込まれ、利用され、搾取される。親切にし過ぎればあてにされて、私にばかり面倒ごとが雪崩れ込んで、私がそれをやることがいつのまにかデフォルトになって、断ったりすると優しくないと謗りを受けたりもする。まあそうだよな、とも思う。引き受けるからって舐められたりもする。私だって身近に優しいひとがいたら、相談してしまうし、頼ってしまう。優しさってそもそも何だったのか。良かれと思ってした行動は、しばしば全く予期しなかった方向へ私を向かわせてしまう。でも私は、こういう時にこそ優しくしたいと思う。それは自分が同じ境遇になったら優しくされたいからでもあり、それ以上に、こういう時に優しくできる人間になりたいからだと思う。自分でも、周囲に過度に共感して、優しさなのか親切なのか分からないものを振りまいて、いいように利用されて、馬鹿だよなと思っている。でもこれが私だった。心の中のレディ・ガガがBorn This Wayを歌いだす気分だ。私はこんな風に生まれたのだった。ちなみに私の中のBorn This Wayのベストアクトは絶対これ。

 話は戻り、とにかく利用されても都合がよくても優しくしたいのが今日だった。便利な奴だと思われていいし、好きなだけ利用してくれたっていい。友達だからそんなことはないかもしれないけど、仮にそういう魂胆だとしてもかまわない。自分が辛いときに、甘えて寄りかかっていい優しさがないなんてくそくらえじゃないか。私は他者に共感してばかりで損をしているかもしれないけれど、結局それが私なのだ。

 19時に名古屋駅に着く。さすがに定時上がりは難しかった。名古屋駅には金時計と銀時計という待ち合わせスポットがあるけれど、混雑しすぎてスポットとしての機能を果たしていない。銀時計の前にあるエスカレーターを上がったところが定番の待ち合わせ場所だった。友達は、他県から特急と在来線を乗り継いで、なけなしの貯金をはたいて来ていた。合流したとたん、友達の口からあふれんばかりの愚痴が漏れ出た。手は不自然に震えていて、何かあったのだとすぐわかった。とにかくどこでもいいというから、キャッチに誘われるままに駅西の魚民に入った。珍しくキャッチが役立った。

 友達は、夫と離婚したいらしかった。それは別の人を好きになってしまったとか、夫を男性として見ることができなくなったとか、よくある理由ではなかった。義実家に搾取をされ続け、自分を保てなくなってしまうと危機感を感じたかららしい。結婚前にバリバリOLとして働いていた友達は、社内恋愛の果てに結婚し、結婚後は実家の花屋を継ぎたいという夫に自らの意思でついていった。とても野心家で仕事熱心な友達は、自営で自分がどこまでできるか試すのも悪くないと考えたらしい。スムーズに夫と家業を継ぐために、事前に別店舗の生花店で修業をしていくくらいの徹底ぶりだった。義実家で勤め始めてからも、SNSを活用して情報発信したり、ギフトラッピングのサービスの拡充をしたり、週末には近隣エリアの生花店をリサーチしたり、とにかく生き生きとしていた。その甲斐あって店舗が増えたりもして、友達は水を得た魚のようだったから、離婚の話は少しびっくりした。

 友達は、週末もひまなく働いていたが、月給は7万円しかなかった。その7万は夫を通して渡されるものだったが、夫はしばしば渡さなかった。夫は結婚後に変わってしまった。その変わり具合は、退職した会社の人に話しても誰も信じてくれないくらいだった。人が変わったようだったのだ。夫が家業を継いだ後は引退するはずだった義両親は、ことあるたびに友達の仕事に口を出した。夫はすぐ戻るといって、無断で一週間海外旅行に行ってしまうような奔放さを繰り返した。義両親は子供である夫には甘かった。夫は、大した仕事もせず、町内自治会の集まりを言い訳に毎日のように店を不在にして飲み歩いた。友達は、自分のOL時代の貯金を切り崩して身の回りの物を揃えたり、出かけたりしていたけれど、もう貯金はほぼ底をついてしまった。車も義両親に売却されてしまい、地方に住む身としては自由に身動きを取るための足すらない。こんな状態で5年も6年も暮らした友達は、精神を病み、抗うつ剤睡眠薬を飲んで、体に鞭を打ってそれでも働いていた。子供ができないことで、友達は義両親から憂き目にあっていた。それでも仕事自体は好きだからと身を粉にして頑張っていた。でも疲れてしまった。

 ここ数年分の個人史を小一時間のうちに聞かされてその壮絶さに驚いていた。このブログでは詳細を省いているが、発言小町に投稿したら有名スレになれそうなくらいの充実したひどさ。あんなに生き生きと働いていたのに。外から見て分からないだけで、問題を抱えた家はたくさんあるというけれど、身近で聞いたなかではかなりひどい話だった。車を奪い、時間を奪い、経済力を奪い、義実家が総出で友達のことを搾取し、閉じ込めているようにしか思えなかった。

 私は離婚すべきだと何度も何度も言った。でも友達は、何度も何度も離婚したいと話してきて、そのたびに反故にされ心が折れてしまったということだ。もはや、おかしいのは義実家の人々じゃなくて自分なんじゃないか、自分が弱気になっているだけなんじゃないか、思ってしまうとのことだった。私は何度も何度も、離婚したほうがいい、逃げたほうがいいと繰り返し言った。友達は、両親もそう言っている、といった。でも疲れてしまった、とも。魚民の勘定は私が払った。友達は話すのに夢中で、ビール一杯すら飲み切らなかった。

 その夜は同居人はいなかったから、うちに友達は泊っていった。花屋の仕事はいいのかというと、明日の朝イチで帰れば間に合うとのことだった。午前3時くらいに眠るまで、境遇への愚痴は続いていた。私はこの日よりも「離婚したほうがいい」と言った日はないと確実にないといえる。本当に擦り切れて疲れ切ってしまうと、自分にとって正しい判断が出来なくなってしまうのだなと痛感した。あんなに利発的だった友達が、紙切れ一枚の別れのためにずうっと愚痴の世界をぐるぐる堂々巡りしている。でも私はうなづきながら、今日仕事を切り上げて話を聞けて良かったと思った。

 

【7月11日追記】

 友達、なんとか離婚が決まったらしい。よかった。