高等遊民前夜

ただの日記

無理ない範囲で選挙に行こうね

 金曜日。今日は大変なことが起こってしまった。まるで戦前の、教科書の中で起こった出来事のようで、どこか遠くの地域で起こった事件を見ているかのようだ。9.11の同時多発テロの報道を観ていたかのよう。これまでの日本史だけを見てもわかるように、このように暴力を政治へ向けることで、社会が良くなったことは無い。義務教育を受けて、高校で日本史を勉強をした人であれば大体知識として知っていることで、ということは、これから少なくとも数年間、社会は揺れ動くのだろうか。すでに苦しい生活が、ここからまたどうなるか分からない。怒りを通り越して無気力感を覚えている。今日は疲れ果ててしまった、

 いまはまだ事件の背後にあるもの、犯人の生い立ちや動機などははっきりしていないところが多くて、だからこそ憶測で物を言うのはできない。でもこれは今日私が確かに感じたことだから、日記に書いておきたい。だれも私のブログにこんなことは求めていないし、部屋とかご飯の写真を載せとけよ、と思われるかも知れないけれど、ここは私のブログだから私が書きたいことを書く。

 今言えることは、相手がどんなに許しがたい政治家だとしても、その政治にかかわる活動するを妨害するために暴力を行使することは許してはいけないということ。あと、政治への不満は選挙権を行使して表明すべきで、選挙には行こうということ。私は個人的に故人を支持していないし、私怨に近い感情もあるし、政策にも思想にも受け入れがたいものがあるけれど、それは言論によって追求されるべきで、このように暴力の犠牲となったことについては怒りを覚える。気に入らない奴は殺せばいい、なんてことが許されてはならない。

 明後日は選挙当日で、まだ投票していない人には、今回のことを抜きにして、ただただ真っ当に各政党の政策を評価して票を投ずることが求められている。悲劇的な事件に同情が集まりやすい空気の中で、同情や憐憫に流されずに、冷静に選挙権を行使しなければいけない。不幸にもこれほど選挙が注目されることはないだろうから、間違いなく時代の転換点に私も含めて居るのだろう。私はこれまで同様に投票にいく。ただこのような事件があったことで、恐ろしくて投票に行けない人もいるのだろうな。それ自体は悪いことだと思わない。ただ今回の結果で今後の私たちの生活は大きく揺れ動くのだろうなと思っている。ただ多くの人が、自己の心身の無理ない範囲で選挙へ行き、冷静に投票ができるといいなと思う。

 ところで私の職場では、話し合いによる解決が意味をなさない場面がある。予定調和で物事が成り立っていて、嘘や忖度で溢れていて、本来的な話し合いが全く機能していない場面だ。善悪や多数の合意や社会的道義によって意思決定されるんじゃなくて、もう既に結論が先にあって、そこへ向かって形式的に会議が行われたりする。こういう話し合いで最も強いのは、相手の話を聞かず、会話にならない、言葉の通じない人だ。そういう人は声が物理的にも大きく、自分の言葉のみを押し通す。話し合いによる意思決定が不全になると、なによりも強いものは暴力だと思わされる。こういう場面はあらゆる人が、あらゆる場面で体験していると思う。声の大きな幹部が全ての決定権を事実上持つようなこともあるし、ひとりのクレーマーの身勝手な主張が会社のあり方を変えてしまうことがある。泣いたり機嫌を損ねることで周りを従わせる人がいる。何を話しても「じゃあ訴えます」と脅迫を繰り返す人がいる。暴力的に解決することが何よりも有効だという考え方が、これから広まってしまわないか、私は怖い。でも、暴力で解決することが最も手っ取り早い社会になっていると、職場で、学校で、身近な人間関係の中で、ずっと感じていた。それが最も怖いかもしれない。暴力って定義としては必ずしも物理的に危害を加えることに限らなくて、力で相手をねじ伏せること全般のことだ。だから言葉や態度だって暴力になる。

 だから、ちゃんと言葉で話し合って、暴力的になることなく物事を決定できて、暴力での解決が有効ではない世の中にならないといけないんだろうけど、そうするにはどうしたらいいんだろうね。日々いろんな場面で、全く言葉の通じない、会話にならない人と対峙するたびに、言葉にならない無力感を感じる。

 あと、こういう凄惨な事件がある度に、ネットやテレビから遠ざかり、自分の心を守ろうという風潮にもどこか拭いきれない違和感がある。感受性豊かでこういったニュースを長時間見ることに耐えられない人がいるのは当然として、そもそも報道自体が過激になっていると思う。心が潰れてしまうような報道をするのはどんなんだも思うわけですよ。しかも扇情的で、都合の悪い部分をぼかし、いかにもネタになりそうな部分のみをクローズアップするものが多い。自分の住む国で起こったことにいつまでも目を背け続けることなんて無理で、だからこそ、事実を淡々と、ショッキングな映像や写真やインタビュー無しに教えてくれるようなメディアや情報ツールほしい。こういう事件に過度に共感しまう人が、そこを観れば安心と思えるようなメディアやツール。暴言や罵詈雑言がない、偏りの極めて少ない情報の羅列が欲しい。本当に報道のあり方もそれを取り巻くSNSの空間も、どんどんひどくなってない?と思ったりする。

 そんなこんな、色々ぐるぐる考えていて疲れた。ここに書いて少しすっきりした気がする。自分の日常はせめて自分で守っていきたいね。

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