高等遊民前夜

日記と考え事のログ

いい買い物観をアップデートしたい日々

 金曜日。盆休み明けの、特段激務でもない一週間をただ終えただけで疲れ果ててしまった。PCの前に座り続けるだけで筋肉を使うのだと思い知らされる。そして日に日に加齢を知る。私という肉体は、放っておいても元気だったものから、努めて元気を維持しなければいけないものになったのだ。

 私の知人に、食事は極力上質でいいものを選んで食べることを実践している人がいる。その知人は、加齢によって「自分にはもう好きなものを無尽蔵に食べられる若さはない」ということをある瞬間に思い知ったらしい。好きなだけ食べればすぐに体重は増える。その前に、もう昔のように量を食べれない。すぐに胃がもたれてしまう。健康のためには運動もしないといけないし、一日あたりのカロリー摂取もある程度は制限しなければならない。そう考えた時に、自身が一生のうちに出来る食事の回数に限界があることを知った。どうせカロリーを摂らなければいけないならば、少量で胃もたれしてしまうのならば、妥協の末に食べるチェーン店の定食やジャンクフードではなくて、自分が本当に食べたいと思えるものを食べたい。人生における楽しみのウェイトがかなり食事にある知人は、それからというもの一日一食はこだわり抜いて選んだお店で食べることをしているらしい。
 知人のような食への投資のこだわりは、初めて聞いたときこそ斬新だったけれど、社会に出ると似たようなことを実践している人は意外に多いなと思った。そして自分も加齢を実感するたびになんとなく知人の言ってることを実行しないまでも「わかる」気がする。焼肉を食べたいとして、食べ放題の安い肉を大量に食べる楽しみ方はもうできない。カルビじゃなくてロースやヒレがいい。上ハラミが食べたい。量が無理なら質へ向くのは道理だ。

 最近、私はまた高いTシャツを買った。衣服にかける金額は人によって感覚や差異が大きいだろうけれど、私にとって無地の半袖Tシャツが一万円超えたら無条件に高額だなと思う。

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社会人になって数年、安定した収入を得るようになった。それまでは着たいと思った流行りの服やいろんなテイストの服を、とにかく見てくれ重視で安くたくさん買っていた。悪くいえば安物買いの銭失いだったわけだけど、金銭的に制限のある当時ではそれが自分にとっては「いい買い物」だった。最近はベーシックなアイテムから質が良くていいものに替えて、それを大切に長く着たいと考えるようになった。
 人生は思ったより短い。学生のように毎日私服で過ごすことなんてもうないし、本当に自由な服装で過ごすのは週末くらいだ。それこそ食にこだわる知人じゃないけれど、本当に好きな服を着て過ごせる時間なんて仕事をしていない休日くらいで、私の人生においてかなり限られてくるわけだ。貴重な休日では妥協なく服を着たい。いまでは流行に惑わされてあれこれ手を出すこともなくなり、自分が買う系統もそれなりに定まってきた。だからたくさん服を買うより、いいものを少し買うようになってきたのだ。それがいいことなのかはさておき、自分の価値観が変わってきたことは如実に感じる。

 肝心の高いTシャツの着心地は、うまく言語化できないけれどやっぱり快適で心地よい。肌に触れると得もいわれないすがすがしさがあるし、洗いざらしで着ても程よくパリッとしていてへたれない。さらさらしていて汗がよく乾く。遠目に見ると量販店の安いTシャツと見分けはつかないだろうけど、洗濯を繰り返していくと生地がいいのが分かる。綿100パーセントであることはファストファッションのシャツと変わらなくても、不思議とうっすら艶まであってどことなく高級感もある。そもそもの綿の品質が違ったり、織り方が違ったりするのだろうか。なにより好きな服を着ていることで気分が上がる。背伸びして買った服がお守りみたいになることがある。そういうことをトータルで加味すれば実はそこそこ安い買い物なのかもしれない。

 年を重ねて、自分の悪い意味での生産性というか、この一生で私があとどれくらい稼げるかも何となく見通しがつくようになってしまった。この先人生が大きく転回しないかぎり変わることはないのだと思う。すこし物悲しくもあるんだけど、そこは悲観しても仕方ないから、蓄えるばかりじゃなくって、豊かに暮らすためにいい買い物ができるようにしていきたいなとい思う。でも年収は5億円くらい欲しいことは変わらない。