高等遊民前夜

日記と考え事のログ

実現は史実から大幅に遅れてくる

 月曜日。AIでイラストを生成することへの是非が世間で話題になっていて、個人的にも興味のある話題だから興味深く追っている。入力したテキストを元に絵を作成してくれる「midjourney」のような英語AIが話題だったけれど、先日発表された、絵の特徴や個性を学習して新しい絵を生成する「mimic」については、悪用のおそれがあるとして特に批判色が強くて、前者との差がはっきり分かれた。(結果的に、mimicベータ版は不正使用を防ぐ仕組みが不十分であったとして全機能を停止している。)
 mimicだけがやたらと叩かれてしまったのは、描き手に配慮して丁寧に説明をするあまり「複数の絵から学習して新しい絵を生成する」から「他人が時間をかけて描いた絵から簡単に絵を作って不正利用も可能」なことがクローズアップされていることと、単純にmimicの発表が日本語で行われたことにあるのかなと思う。肌感覚では法的な是非よりも、苦労して描いた作品、時間をかけて描いた作風が不正利用されることへの感情的・倫理的な嫌悪感のほうが強いかなと思った。絵の登用問題はずっと問題になっていることもあり、センセーショナルな話題として炎上したという実感がある。ただ不正利用防止策がなかったから炎上するのも分かるし、実際著作権はどうなるんだ?という思いも強い。著作権に関しては詳細な記事があったから自分用に貼っておく。

(↑こんな指摘があったけど、日本語で炎上するなら英語でリリース使用の流れはたしかに嫌だ。)

 その辺りの考察はたくさんの方がやっているとして、こういったセンセーショナルで、象徴的で、革命的な出来事が起こったとして、それが浸透して恐れていたことが現実になること(今回の例で言えば、画像生成AIに仕事を奪われたり、不正利用がまかり通ったりする状況に到達すること)は直ちに来ることはない、むしろ往々にしてかなり遅れてくるものじゃないかと考えている。周囲の人ともこの話題で盛り上がった中で、こういったセンセーショナルで叩きやすい話題に対しては、脊髄反射で批判するのではなくて一歩立ち止まって細かく論点を整理するほうがすっきりするなと改めて思った。この記事はその備忘録。

 平安時代に人々は寝殿造りの家で暮らしていたのか

 今回の件で思い出した話。大学に入ったばかりの学生がよく陥りやすい思考方法として恩師に分かりやすく指摘されていたのは、象徴的な出来事や事件や制度は、世の中を分析する一つのメルクマールにはなり得ても、現実すべてを説明するわけではないという至極当然のことだった。例えば、日本史的には「平安時代は国風文化が栄え、寝殿造りの建築様式が現れた」というのは常識であるけれど、ここから「日本中すべての人が寝殿造りの住居で暮らしていた」と考えてしまう学生が多いらしい。国風文化はあくまで貴族文化であって、一般的な日本家屋に暮らしていたのも平安京内の人々だけであったし、京の外の一般民衆は縄文時代から続く竪穴式住居に暮らしていたのが通説だ。これはちょっと調べればすぐにたどり着く事実であるけれども、どうしても受験期に「平安時代=国風文化=寝殿造り」と記号的に捉え、自分の知っているこの記号で当時の日本全体を単純に説明できると思いこんでしまうらしいのだ。

 ほかにも、例えば「男女共同参画社会基本法」という法律は1999年に施行されたが、これを手掛かりに、学生は「21世紀から男女平等が促進された」というあまりに単純な考察に陥ってしまう。たしかにこの法律の前文には、男女平等の実現にむけて一層の努力が必要であることが明記されており、当時の政府においてこのような問題意識が共有されていたことは明らかだ。それでも本当に「男女平等が促進された」かを確かめるためには踏み込んだ分析が必要なはずだ。そもそもどうやって男女平等を評価するのかという問題がある。男女平等を評価するために使える指標として、進学率、年収、離職率など多くのデータがあり、その評価方法もきっと様々だ。学歴や経済格差、地域差の影響があるデータをどう評価するかは精査が必要である。法律がつくられても、政府や為政者がとらえる現実と民衆がとらえる現実が乖離することだってあるし、そもそも法律が作られたとたんに日本全体に行きわたるわけでもない。実際、現時点でも男女平等が促進されているとはいいがたいと感じる人も多いだろうと思う。

 このことは少し立ち止まって考えれば誰でもわかることなのだけど、それでもこういった思考になれていないと、キャッチーな出来事から現実を過剰に深読みしてしまうという落とし穴に陥ってしまう。恩師は毎年毎年、新入生の学生にこの話をしているらしいし、私も研究室時代に見ていた学生たちを見ていた限りでは、あるあるなんだろうと思う。まあ思考はトレーニングの賜物でもあるから、高校時代までに思考癖をある程度経験しないと単純な考察しかできないし、反復しないと衰えると思ったりもする。

 こういうことはなんにでも当てはまることで、キング牧師が演説したから黒人差別がなくならず、自動運転技術が発明されたから職業ドライバーがいなくなるわけでもないし、高度な会計ソフトが生まれても現に税理士はいなくならない。象徴的な出来事の裏には複雑な現実があり、予想が現実になるには、当然ながらあらゆる制約や条件があるはずだ。今回の件でいえば、「他人の絵から特徴を学習して画像を生成するAI」という重大事件があったわけだけれど、直ちに「この事件のせいで、人の絵をAIに読み込ませまくって絵を作り、仕事はAIに盗られ、しかも不正利用しまくるめちゃくちゃな状態になった」とはならないんじゃないかと思うし、そう断言するにはいろんな方向から考えなければだめなんじゃね?となる。

  そもそもOfficeさえ使いこなせない人が多いけど

 実際に絵を描いて仕事をしている人は別として、そもそも全国民がそれを使いこなすことなんてありえないわけだから、思ったより深刻なことになるのはかなり先なんじゃないかともやっぱり話題になった。現に弊職場ではPCを雰囲気で使っている人が多くて機能を深堀していないから、アドビのソフトが各種入ってても本気のパンフ、ポスター等はプロの代理店とかに発注する。職場内だけで使う掲示物や資料には絵や図さえない。エクセルと連動したグラフや、あってもワードやパワポのオートシェイプがせいぜいいいところ。(本当は使いこなせるが、頑張ったところで給与に反映されないから爪を隠しているだけの鷹も多いと思うが…。)これまでも「いらすとや」のような超便利コンテンツがあったわけだけど、そもそもそれをどうやって貼ったらいいのかも分からないし、透過の仕方もわからない。周囲の状況を見ていると、イラストAIのような便利コンテンツが国全体に普及してプロの仕事を全て奪うことはないんじゃないかなとも思う。

 よく言われる自動翻訳もそうで、現在ではかなり高精度な翻訳AIがあるけれど、それらを使うのは参考程度で、大事な書類や論文やプロに英文校閲を依頼するのが前提になっている。会議やイベントに外国語話者がいる場合には、プロの通訳を雇う。AIで高精度ない英文を作っても、そこから手直しすることができないからだ。とくに何かに特化した話題である場合は、その分野に特化した校閲機関や通訳に依頼すれば、AIにはできない気の利いたニュアンスの翻訳をしてくれる。それに、最終的にはプロに依頼しないと仕事の質が担保されないし、外部の人に「プロの校閲や翻訳を使わない=その程度の仕事だと捉えている」とみなされる側面がある。自動翻訳は案段階の資料の英文に使ったり、そういうドラフト作りにはとても有用だったけれど、ある程度の質を担保するにはプロに依頼する。この流れは今後も続くんだろうと思うし、ある程度は職を奪われる人はいると思うけれど、すぐに深刻な状態にはならないんじゃないかと話した。

 いつの時代も零細はつらい

 とはいえ、イラストを描く人にも、通訳や校閲をする人にも下請け的で「零細」的な人は多くて、その人たちは打撃を受けるんだろうと思う。小さな広告代理店やデザイン会社からイラストを受注したり、ネットでイラスト素材を打っている人たちなんかは、モロに影響を受ける。AIにお願いしたらいくらでもイラスト作ってくれるのなら。これまではそんな零細に支えられている人たちが多かったはずだけど、そこがAIにとってかわられるとしんどい。ゼネラリストは機械に置き換わって、時代は専門性ありきになっていくのだろうか。私の仕事はいつなくなるだろう。

 

 暗い話ばかりしてしまったのでかわいい植物の写真で中和します。